判例にみる「矯正歯科と虫歯の関係」 裁判官はエビデンスをどう判断したのか? by T.Saito  07/30/2003
 今月、注目すべき医療裁判の判決が2つ出た。1つめは、東京地裁が、矯正歯科治療中に出来た虫歯に対して歯科医師へ賠償命令出した。2つめは、健康診断でがんを見落とした医師に責任はないと最高裁が認めた。患者(当時33才)は、肺がんで死亡している。対照的な判決である。裁判官は、医学のエビデンスをどのように判断したのだろうか、報道の中から考えてみたい。

 判例1では、貝阿弥裁判長は、「矯正治療中は虫歯になりやすいことを説明し、歯磨き指導をする義務がある。ブラッシングを丹念にするよう十分指導すれば虫歯の発生は防止できた。」としている。さて、本当だろうか?第1点、「矯正歯科治療中は、虫歯になりやすい。」というエビデンスはあるだろうか?きちんと管理されている矯正歯科治療期間中は、むしろ虫歯の発症が抑制されている。第2点、「ブラッシングを丹念にするよう十分指導すれば虫歯の発生は防止できた。」は、現代の予防歯科の常識からは外れている。ブラッシングだけでは虫歯予防は出来ない。カリエスリスクに応じたフッ化物の応用が必須である。検察側は、どのような論文、参考人を証拠として提出したのだろうか。上級審で、この起訴事実の認定から争えば逆転判決が出るかもしれない。
 しかし、この判例のポイントは、「『今まで通り歯磨きするように』と述べる程度の指導では不十分」とした点にある。虫歯の発症責任よりも予防のための指導管理責任を問われたのである。矯正歯科治療と虫歯発症の因果関係のエビデンスが無いからといって医師の責任が無くなるわけではない。むしろ、そのようなエビデンスの使い方は、EBMの精神からも遠く外れている。リサーチエビデンスが無くても副作用(有害事象)の情報は採用するのがEBMの精神である。
 
歯科医師が、矯正歯科治療前に、カリエスリスク検査を行い、リスクに応じた予防プログラムを立て、歯科衛生士による指導および予防処置を指示していれば、例え虫歯が出来たとしても賠償責任までは問われなかったのではないか。

 判例2では、医師の責任は認められなかった。遺族の兄の「失望した。読みとりミスは責任を問わないというのなら、集団健診などやる必要はなくなる」という想いは切実である。
 しかし、最高裁は、胸部X線写真検査の限界を認めた。肺がんのスクリーニング検査としての胸部X線写真の有効性に関しては、旧厚生省の「がん検診の有効性評価に関する研究班」報告書(平成10年)でも有効性が疑問視されている。報告書の中でも「肺がん検診については「今後は診断精度の向上をはかる必要があり、肺がん検診への高速螺旋CT(ヘリカルCT)の導入への研究も続けていく必要がある」と示されている。しかし、そのヘリカルCTですら、Patzらは,「
肺がんはCTスキャンによって発見される大きさになるころでは,生物学的には疾患後期にある」と述べている(Chest,2000)。また、坪野先生のHPでもスパイラルCTによる肺がん検診の効率に疑問を投げかけている。したがって、当時('85-87年)の医療水準を考えれば、やはり判決は妥当であろう。むしろ集団検診で胸部X線写真を受けていれば安心だと思わせてしまう日本の医療情報の閉鎖性の方が問題である。義務教育に医学を入れるべきだと思うのだが如何であろうか。
 遺族らは「担当医の一人は肺がんの専門家でレントゲン読みとり経験が30年以上あった」と訴え、「専門医なら発見できたはず」と主張していた。この点に対して、滝井裁判官だけは、「医療水準は、各医療機関の性格などから個別に決められるもの」などとする90年代の二つの最高裁判例を引用。「過失の有無は、当該医療機関で合理的に期待できる医療水準に照らして判断されなければならない」と遺族側の主張に理解を示し、専門医の責任を重く判断した。

 検査を正しく理解するために臨床疫学の知識は必須であり、医師は医療情報のエビデンスを知り、常に知識を最新に保つことが求められる。同時に、診断には医師の臨床技能が大切であることを改めて確認させられた判決である。その努力を怠らぬことが患者、医師お互いの信頼と利益につながる。

【判例1】 虫歯「歯科医の指導不足」 賠償命令
虫歯「歯科医の指導不足」 東京地裁が賠償命令

「歯科医が適切な歯磨き指導をしなかったため虫歯になった」として、東京都内の女性(24)が、都内にある矯正歯科医院の歯科医2人に約410万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は10日、55万円の支払いを命じた。
 貝阿弥誠裁判長は「矯正治療中は虫歯になりやすいことを説明し、歯磨き指導をする義務がある。ブラッシングを丹念にするよう十分指導すれば虫歯の発生は防止できた」と歯科医の責任を認めた。
 判決によると、女性は1998年3月から2002年1月にかけて、口内に固定器具をつけた矯正治療を受け、完了後、上前歯4本が虫歯になっていることが分かった。
 歯科医側は「十分に指導した。歯磨きで口内の衛生を保つのは本人の責任」と主張したが、貝阿弥裁判長は「『今まで通り歯磨きするように』と述べる程度の指導では不十分」と退けた。
(共同通信) [7月10日12時28分更新]

【判例2】 健康診断でがん見落とし「担当医責任なし」
健康診断でがん見落とし「担当医責任なし」 最高裁判決

 肺がんで死亡した東京海上火災保険の女性社員(当時33)の遺族らが、「3回も健康診断でレントゲン検査を受けたのに、がんを見落とされた」として同社と診療所、担当医師3人を相手に損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第二小法廷(梶谷玄裁判長)は18日、遺族らの上告を棄却する判決を言い渡した。遺族らの敗訴が確定した。
  
5裁判官のうち、滝井繁男裁判官は「二審判決を破棄し、審理を差し戻すべきだ」との反対意見を述べた。
 死亡したのは、石井まゆみさん。85年から3年間、年1回の定期健康診断で毎回、胸部X線写真を撮影したが、担当医らは肺がんを発見できず、87年11月に死亡。遺族らは「担当医の一人は肺がんの専門家でレントゲン読みとり経験が30年以上あった」と訴え、「専門医なら発見できたはず」と主張していた。
 一、二審は「一般臨床医の医療水準」をもとに、医師の過失の有無を判断して請求を棄却。第二小法廷も支持した。
 これに対し、滝井裁判官は「医療水準は、各医療機関の性格などから個別に決められるもの」などとする90年代の二つの最高裁判例を引用。「過失の有無は、当該医療機関で合理的に期待できる医療水準に照らして判断されなければならない」と遺族側の主張に理解を示した。
 石井さんの兄光一さん(53)は「失望した。読みとりミスは責任を問わないというのなら、集団健診などやる必要はなくなる」と話している。
(朝日新聞(2003/07/18)

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 医療過誤防止事始メ 李先生講演会から

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